2007年6月12日 (火)

なんと!37年ぶりのドローイング

アーチストになる気はまったくないし、なれる才能ももちろんありません。

でも美術館に行く度に、なんだか自分も何か描きたくなって、アパートから徒歩6分のところにあるThe Art Students League of New Yorkのドローイング・クラスに通い始めました、週2回の夜間ですが。


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国吉康雄が学び教えたファインアートの学校。

フィアデルフィア美術館でご紹介した私の好きなサイ・トゥンブリも22歳の時ここで勉強しています。

歳が分かってしまいますが、ドローイングは10代の後半から20歳くらいにかけて描いたのが最後で、なんと37年ぶり。

6月第一週の水曜日、チャイナタウンの学割の効く安い画材店で買ったスケッチブックと日本から持ってきた黒のダーマートにブラウンの色鉛筆を持って一路アートスクールに。

6:15PM、アシスタントと思われるちょっとモジリアーニ似の男性が “最初は4分50秒から” と言うと、モデルがポーズをとり、そのモデルを囲む20人ほどの生徒たちがいっせいに描き始めました。

“う、う、ぅ・・・まずい~、描、描けな~い。えぇ~、どうしよう” Acha_6 なんてうろたえている間に4分50秒が経ち “はい、次のポーズ” とまたアシスタントの声。

でも、3ポーズ、4ポーズと描いていくうちに、37年前に学んだことのいくつかが甦ってくるんですねぇ。体で覚えているっていうか、脳みそから右手の指先にその記憶が送られてくるっていうか・・・。10代に覚えたことは忘れないっていいますが、ほんとうですね。


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少しずつ思い出してきたドローイングのタッチ

ちょっと慣れてきた4ポーズ目の頃、先生が入ってきました。たぶん70代と思われる男性ですが、彼の教え方、私初めてです。トレーシングペーパーのような透けた紙のスケッチブックを持って来ていて、生徒のドローイングの上にそのペーパーを置いて、なにやら説明をしながらどんどん直していくのです。

線描きの人には線で、シャドーで表現している人にはシャドーで。決して生徒の作品に直に描き込みません。

生徒には、この人現役アーチストかしらと思わせるような人から、まったく今日が始めてという人までいろいろ。先生はどの人にも丁寧に真剣に、何か質問されれば時間を惜しまず指導していました。だからアシスタントの脇の隅っこで描いていた私の番まで回ってきませんでした。ちょっとがっかり。だって先生は2日に一度しか来ませんから。でも原因は私にあるのかも。実は時間ぎりぎりに行って、席はそこしか空いていなかったのです。

最初ビビった3時間15分はあっというまに終了しました。

ところで、何の拘束もないアートスクールなのですが、宿題が出されていました。椅子を描いてくる宿題が。前からこの先生のクラスを受けているとても感じの良い日本人の生徒が教えてくれたんです “今日の宿題は椅子ですって。いっぱい描いてくればいっぱい教えてくれるわよ!”って。 “えっ、宿題?!”

そういえば先生が一生懸命椅子を触りながら話していたけど、あれは宿題の説明だったんだ~。ああ、私の英語力は相変わらず伸びていない!10代の頃に英語も勉強しておくんだったとマジ反省。ま、しょうがないですね、高校生のとき一番嫌いな科目でしたから。

それにしても6月の夜、レストランやバーが賑わうミッドタウン・ウエストの大通りを、スケッチブック片手にアートスクールに向かうと、なぜかとても開放的で満ち足りた気分になります。

通りに面したお洒落なレストランからは、ドレスアップして食事する男女の幸せそうな光景が目に入ります。が、しかし、最近の私はこういった光景を目にしてもまったく羨ましいと思わなくなってしまいました。これってどうなんでしょう・・・

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2日目の休憩時間に学校内の画材売り場で2B,4B,6Bの
ドローイング用鉛筆とブラウンのパステルを購入。
やっぱり線が柔らかく描けます。気分いいです。

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2007年6月 6日 (水)

バーベキュー

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この歳になると“生まれて初めての経験”ということに遭遇する機会が少なくなります。

つい最近ありました、生まれて初めての経験。自宅の庭でバーベキュー。これ、私の今までの人生にありそうでなかったのです。

自宅といってももちろん私の家ではありません。ニュージャージーに住む友人、ボブの家です。

バーベキューは肉のタレ作りから野菜を櫛に刺したり、とうもろこしを銀紙で包んだり、もちろん焼くのもぜ~んぶ男の仕事だそうです。

よく考えたらスキヤキみたいですね。今はスキヤキといったら当然のように市販のインスタント割りしたでいただきますが、私が子供の頃は酒、醤油、砂糖で味見しながら、父親が作ったものです。そうスキヤキは男の仕事だったのです。

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写真左手が私のために焼いてくれたお肉。“こんなに食べられないよ~!”って言ったら、“あまったら持って返りなさい”って彼。とってもおいしかったけれど四分の一でギブアップ。 残りはしっかりいただいてきました。

いただいてきたこのお肉、翌日はローストビーフとして、またその翌々日はラーメンにチャーシューとして、はたまたサンドイッチにと3日続けていただきました。 こんなデカイの一回で食べているからアメリカ人は太るんですよね~。

ところでひとつ不思議だったのは、バーベキューの最中も、食事をしている間も、ハエはもちろんのこと蚊やその他虫の類が一切寄ってこなかったことです。まだ明るい6時半頃から暗くなりかけた8時半頃までの間ですが。

でも庭は草ぼうぼうだし、木もうっそうと生えているし。日本だったらものの10分もしないうちに寄ってくるのに。なぜ、なぜなの?日本より空気が乾燥しているのかしら。どなたかご存知だったら教えてください。

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2007年6月 2日 (土)

フィアデルフィア美術館

行ってまいりました念願のフィアデルフィア美術館。

車でフィアデルフィアの市内に向かっていくと、とても今的な高層ビル群が見えてきます。ヒストリカルな街だと聞いていたのでちょっと意外でした。

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15分ほど市内を走ると遠くに美術館らしき建物が見えてきたので “あっ、あれ!あの建物!” って運転している友人、ボブ(前回ご紹介したハーレーダビッドソンの持ち主)に指差し確認。

そしてその建物にだんだん近づいて行くと “Oh, my Go!” なんと美術館の正面が工事中で幕に覆われているではありませんか。

たいしたことではないのですが、この美術館の正面の階段は、映画「ロッキー」でロッキーが駆け登って万歳をしたところ。私も美術館をバックに万歳ショットを撮ってもらおうかと思っていただけに、ちょっと残念でした。

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館内を回っている時、ふと見えた外の景色

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工事中のエントランスから入ると大理石の階段がどーんとあります

この美術館の展示作品で最も有名なのは、ニューヨーク・ダダの先駆者の一人マルセル・デュシャンの作品“大ガラス”です。実はこれが見たくて行ったのです。

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マルセル・デュシャンの「大ガラス」

運送中にガラスにひびが入ってしまったそうですが、その偶然できたひびを彼は気に入り作品として受け入れたそうです。それでどんなんかな~と、とても興味がありました。へぇ~、これが偶然入ったひび、と思わせるだけのことはありました。計算されたようにとてもきれいでした。逆に計算したら、こうはならなかったかも・・・。

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外から光が作品に差し込むように、後ろの壁にガラスがはめ込められていました。

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ダダイズムの代表的な彼の作品

ひとしきりデュシャンの作品に囲まれていい気分になったあとは特別展へと向かいました。

私は大きな美術館に行く時は見たいものを決めて、まずはそこに直行します。そして十分鑑賞したあと余力があったら適当に他の展示品も観て回ります。

特別展は 1700年代の日本人水墨画家「IKE TAIGA」と「TOKUYAMA GYOKURAN http://www.philamuseum.org/exhibitions/108.html の水墨画と書道展。日本でもお目にかかれないのではないかというほど量的にも、質的にも充実していました。残念ながら特別展はどこも写真撮影禁止なので興味のある方はウエッブを覗いて見てください。

彼らの作品を見ていて改めて認識したのは“素晴らしい作品は何百年も前に描かれたものだけど今も新しい”ということです。彼らの書や画はとてもパワフルでいてソフィスティケイトされていました。彼らみたいのが天才っていうんだよね~なんて、バカな独り言をいっていたとても凡人な私でした。

しかしいいタイミングでCalligraphy Art が観られました。というのも、先月、日本語教師養成講座で通ったジャパンソサエティで, 7月下旬から始まる「Shodo: Japanese Calligraphy summer Class」 を受けることにほぼ決めていたからです。

まあどんなことになるか分かりませんが、また書道教室に通いだしたらこちらでお知らせしますね。ニューヨークの書道教室に集まってくるアメリカ人生徒ってどんな人たちなのか・・・

最後に余力があったので私の好きな作家の一人、トゥンブリ・サイTwombly Cyの展示室に寄ってみました。この時ボブは “なにがいいのかさっぱり分からない。僕の4歳の孫のがうまいぞ” と言って出て行ってしまいました。彼は正直です。

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トゥンブリ・サイの展示室と作品。

彼が最も影響を受けたのがクレーだそうです

ランチはフィラデルフィア名物の「チーズステーキ」をこれまた一番有名なお店「PAT’S KING OF STEAKS」で食べました。はっきりいって、なんでこれが人気なのか分かりません。そんなに安くないし。ボブに “どう、おいしい?” って聞かれたので、私は “たぶん二度と食べないと思う” と返事したら、彼も頷いていました。

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味は写真で見たとおり。黄色のマスタードのようなのがチーズで、

すき焼き用に使うような炒めたビーフの上にただかけてあるだけ。

ケチャップやマスタードはお好みで自分でかけます。

2本で18ドルくらい払っていたような気がするので、

1本1,000円といったところかしら。安くないでしょ!

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2007年5月19日 (土)

日本語教師養成講座 in New York

去年の暮れ、ランゲージスクールのクラスメートから40代のネイティブイングリッシュの女性を紹介されました、日本語と英語のエクスチェンジのために。

どういうことかというと、彼女のアパートに一週間に1回か2回お邪魔して、こんにちは~!と言って入ってから最初の1時間は日本語で、1時間経つと英語会話に切り替えるということです。彼女が用意してくれたクッキーや私が持って行ったおせんべいをかじりながら・・・Coffee_2

彼女の日本語は2級の検定試験を受けるくらいなので、けっこうレベル高いです。その彼女にある日聞かれました “ねぇ、この日本語、英語に訳して・・・”って2級試験用の応用ドリルを開きながら。どんな日本語かっていうと「私はできる限りの手を尽くしたが、何も手 Hand_1 に入れられなかった」という文章です。

で適当に英文を作って説明したら、“この「手」は何?この「手」は・・・”と聞かれ、あ、そうねぇ~この手は腕の先に付いている手じゃないものね~、と改めて日本語がややこしいのを認識させられました。

余談ですが、私が出版社に入りたての頃、漢字の書けない(ついでに英語の話せない)編集者として同僚によくからからかわれまし。因みにあの頃の出版社には、書いている記事はつまらなくても、漢字をいっぱい知っている編集者はたくさんいました。

私が会社を辞めるちょっと前には帰国子女という子がた~くさん入ってきました。その中には英語はペラペラだが作家から送られてきた日本語が分からない、要は日本語のニュアンスが分からないってヤツがいました。これには仰天  (゜o゜) Bikkuri_2 させられましたよほんとに。入社試験で何をチェックしているのかと。今はわかりません、どんな編集者がいるのか。

本題に戻りますが、そんなわけで、ここはイッチョ日本語を外国人に教えられるように勉強してみるか!Denki_1 と奮起したわけです。

マンハッタンにジャパンソサエティという日本の文化をアメリカに伝えるための組織があります。ここでプログラムされている「日本語教師養成講座」に通うことを決意し、4月後半から通っています。この講座、ただ座って現役日本語教師の教えを聞いていればいいのだろうと安易に申し込んだのですが、どっこい、そういう授業は最初の3回だけで、その後は交代で1回20分のデモンストレーションをしなくてはならないことが分かりました、しかも自分で独自に考え作った教材で。これけっこうハードUzumaki_2 です。

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すでに生徒役の13人のクラスメートの前で2回、初級者用のデモをしました。まだ来週最終日の10分間デモが残っています。はっきりいって私は教師に向いていません。そう1回目で自覚しました。だから途中からは、教師になるために通うのではなくて、楽しくOnpu_5 参加することに切り替えました。

ただやはり、“あれ、これ、それ”と “あの、この、その”  の違い、というか使い分けをどうやって生徒に教えるかなどのテクニックは、ふ~んなるほどねぇ~と関心させられています。こういったことはやはり学費を払っているだけのことはあります。

それとここに集まってきた“日本語教師になりたい日本人”の何人かが変でおもしろいです。生徒26人中3人が男性。女性の殆どは30代後半から40代の主婦。ダンナの海外転勤のために妻ビザで来ている人が殆どです。

昨日の授業で私の前に座ったきれいでおっとりした女性のダンナは日系の商社マンだそうです。そして私の隣に座っていた女性とは、帰宅後出かけたセントラルパークの前でばったり遭遇。この近所にお住まいですか?と聞くと、スッゴイ高そうな高層アパートを指差して“あそこに住んでるの~”だって。そっくりな顔をした7歳くらいの娘さんを連れていました。

中には日本人小学校で先生をしている女性もいて、この人、使っている教科書とそれにのっとって教えている先生のある言い回しを指摘して“その言い方はおかしい。日本語では絶対ありえない言い方です!”なんて、断定的な説明を延々としちゃう。

客観的に聞いているとそこには先生が説明したある部分を彼女が聞き逃しているがゆえに起きている大きな誤解があると分かるのですが・・・。それが彼女に分かるまでの押し問答の最中、私はトイレに行かせていただきました。

何しろこちらに長く住んでいる、そして特に働いている人はアメリカ人化してしまって、主張が強い(あ、誤解のないように。アメリカ人でも相手の話をちゃんと聞く人もたくさんいます)。しかしアメリカ人にはなりきっていらず、しかし日本人でもなくなっちゃっている。私はこちらに来てから、こういう日本人の女性何人かに出くわしました。疲れます、こういう人。

60代らしき女性も3、4人いて、このうちの1人Fさんがすごい!Okoru_2 在米40年というこの女性、授業開始待ちに隣りに座った人に学校の文句をこれでもかっていうほど途切れもなく話しかける。じゃあ来なきゃいいじゃない・・・って皆思いながら我慢してきいている・・・

でも授業や連絡事項は殆んど理解していないみたいで、解散時に“え、どうするの!?宿題ってなに?!”なんて周りの人に聞きまくっている。最初のうちは皆丁寧に教えていたけど、今は誰も取り合わず、“先生に聞いたほうがいいですよ”なんて言ってさっさと帰ってしまう。それで、この人のデモンストレーションがすごかった。

デモは何しろまったく日本語の分からない初級の外国人生徒に教えることが前提ですから、話すことはその日までに勉強したことと、その日教えること、そして片言の英語だけ。

F さんの担当する講義内容は日付と時刻で、特に「何時ですか」と「○時から○時まで」というフレーズ。しかしデモが始まったとたん、彼女はとうとうと「時間」ということの概念について語りだしてしまったのです。

“時間は人間にとって切り離せないもの。そう、いつもこうやって背中に背負っている、それが時間ですね” ってな感じで・・・

この概念も何の根拠もないものだし、日本人にも分からないような抽象的な言いまわして語り続けている20分間、みんな最初は何がなんだか分からないでいたのですが、途中から教室内は笑いの渦になり、先生もあきれ返って何の評価もしませんでした。評価のしようがないというのが正直なところでしょう。

結局彼女はこの日、自分のデモはウケタ!と思って帰ったと思います。

2回目デモは違う生徒と違う先生(デモのときはクラスが2つに分かれます。あちらの先生のが優秀)の前ですることになっているので、残念ながら彼女の2回目デモを見る事ができなかったのですが、翌日から彼女、おとなしくなっていました。

あと極めつけ“ヤナ女”Down_3 の話させてください。30代後半の小太りな女性。

初日、私の隣に座ったその女性は、先生がプログラム説明をしている時、たぶんメモ用紙の代わりだと思いますが、ノートパソコンを持って来てすべて英語で書き込んでいました、これ見よがしに。

まぁ英語のできない私のひがみかも知れませんが、何も日本語講座について日本語で説明しているのだから、英語で書き込むこたぁないだろうに・・・と思いながらも無視していたのですが、けっこうこの行為、隣でやられると気になるんですよ。ほらPC打ち込むときのパチパチって音とか。

しかしこれだけなら別に我慢の範囲なのですが、彼女しょっちゅう質問するんです、先生いじめArya_1 とも取れるような質問を。もう大分前のことなので殆んど忘れてしまいましたが、ひとつだけよ~く憶えています。

この日2冊の教材が配られました。一冊は初級生徒用のテキスト。もう一冊が教師用指導書。この2冊目にはこの教材独自の文法説明用語が書いてあります。

これを先生が説明している時、 “先生、この待遇表現、後置性、それと位相は英語でなんというのですか?” と彼女。

クラスにはデモの時間以外は常に先生は2人いて、その2人が顔を見合わせて (@_@)  “あ、分かりません。すみませんが、次回の授業までに調べますので、私たちの宿題ということにしてください”と言うと、してやったりといった感じの笑みを浮かべて頷いていました。

対偶表現だの、後置性だの、私たちがこの言葉を英語で知る必要はまったくなく、この質問には皆唖然となりました。そして次の授業日開始早々、この日本語の意味を英語で説明したプリントが先生から配られました。

しかし彼女はその日欠席。そして未だに姿を現しません。

ほかにもまだ笑っちゃうような変な人がいるのですが、長くなったのでこの辺にしておきます。

来週の木曜(5月24日)でジャパンソサエティ通いも終わります。そしたら再来週1週間、私だけのヴァケーションがやってきます。わ~い! この間に友人の車でフィアデルフィア美術館に行く予定です!どんな美術館だったか、またこちらでお知らせしますねー

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暑くもなく寒くもなく、散歩に最高の5月のセントラルパーク  

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2007年4月15日 (日)

花見、満喫してきました!

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さいたま市・氷川神社の奥にある大宮公園の満開の桜。4月1日2007年

ちょっとわけあって3月末から2週間ほど帰国してきました。

この間、桜が満開になり、実家近くの桜で有名な大宮公園に姉夫婦や姪と2度も出かけてしまいました。

こちらに来る前は仕事が忙しかったせいもありますが、特に花見のためにどこかに出かけるなんて事はしなかったように記憶します。

その私が、やはり日本から離れて暮らしているとこういった日本的な事がやけに恋しくなるんですね~。帰国前から友人に “会うときは花見しようね!”“花見しながら食事がいいな!” などとうるさくメールしていましたから。

いや~、それにしても3年ぶりにナマで観る満開の桜は綺麗でしたよ~!

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大宮公園から、子供の頃ザリガニを取って遊んだあたりに行ってみました。
昔は田んぼでしたが、今は四季折々の花が見られる公園になっています。
4月5日2007年

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2007年3月15日 (木)

ミッドウエストに引越しました

ニューヨーク生活3年目突入にあたり、3月1日にイースト・ハーレムからミッドタウン・ウエストに引越しました。

アパートの窓からの景色は高層ビル、一歩アパートを出るとすれ違う人の殆んどは白人。とても寒かった先週など毛皮のロングコートを着た、見るからにリッチなおばさまに何度もすれ違いました。お洒落なスーパーマーケットやカフェもあちこちにあり、でも中で働いているのは黒人やヒスパニック人。

アパートはとっても小さくなりましたが、徒歩10分以内にハドソンリバー、セントラルパーク、リンカーンセンターやジュリアード音楽学校があり、15分くらい歩けばMOMA美術館やタイムズスクエアーに着くこの環境に日々感動しています。イメージしていたのに近いニューヨーク・ライフに出会ったという感動です。

毎日用もないのにふらふら出歩いています。そういう気分にさせます、ここは。

で、やっぱりニューヨークはいいなって改めて実感しています。

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大通りに面したアパートの窓から見える向かいの高層ビル

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2007年1月 2日 (火)

2007年1月 明けましておめでとうございます。

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生まれてこの方、まったく1人で迎えた大晦日と元旦は、憶えている限り今回が初めてかもしれません。

大晦日の昼、メトロポリタン美術館に、クリスマス前に買ったバーゲン品のバッグを返品に行き (1週間使ったのですが、肩からベルトがしょっちゅう落ちてしまい返品を決めました。こちらは、8ミリビデオのテープをカセットテープレコーダーのテープと間違えて買い、パックを開けてしまったあとでも、領収書があれば全額返金してくれます。いやみひとつ言われません)、帰りに自宅近くの八百屋やマーケットに寄って買い物をすると、レジ係のだれもがレシートを渡しながら “Happy New Year !”って言ってくれました。メトロポリタンの返品レジの人でさえ。これって日本にない習慣で、ちょっと気分がよかったです。なんか“アメリカに住んでいる!”って感じた瞬間でした。

夜、9時くらいからテレビをつけると、新年のカウントダウンを待つ人たちでごった返しているタイムズスクエアがライブされていました、何局も。こういうところ日本と同じだな、とチャンネルをまわしていくと、大晦日らしい番組はこれだけで、ほかはいつもと変わらぬ番組ばかり。

11時45分ころ実家に電話をしながらテレビでタイムズスクエアのカウントダウンを見て、やれやれこれで2006年は終わり、無事2007年を迎えたからもう寝よう・・・って思っていたら、アパートの外がやけに騒がしいのに気がついたんです。

なに、この騒ぎは!と外を見ると、遠くでは花火がガンガン上がり、隣のアパートの窓からは外に向かってラッパを吹く男性の姿。道路では近所の人たちがなにやらわいわい賑やかに騒いでいました。これってイーストハーレムだけの新年の迎え方なのかもしれませんが、ちょっとホームシックになりかかっていた私はこれで一気に気分が上昇! “ここに住んでよかった!”って再認識。

そういえばクリスマスに大家のユリと彼の彼女のアイリーンが持って来てくれたチョコレートがあったっけ・・・と思いだし、元朝参りの代わりにチョコレートをぱくつきながらワインで“Happy New Year !”とあいなりました。

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ウクライナから来て20数年の大家“ユリ”と彼の彼女、同じくウクライナ人の“アイリーン”。
クリスマスイブの日、チョコレートを持って来てくれたところをパチリ。

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2006年12月12日 (火)

街中クリスマス色です!その2

12月12日

学校から帰宅すると、ユリ(大家)が近くの若い衆2人とアパートの外に設置されている消防用の階段を上ったり下りたりしてなんだか騒がしくやっているので ”何やってるの~?“って聞くと、“クリスマスの飾り付けだよ、ほらミツエも早く手伝って!”って言うので “いやだよ~ン!”って言ってそそくさと中に駆け込みました。何しろこういうとき、ボーっと眺めていると、本当に手伝わされるのですから。

この間の夜も地下のボイラーを点検に来たユリの知り合いが鍵がないというので、ユリから “ミツエ、エントランスのドアを10分後に開けに降りてきて!”という電話が入り、“あなたはどこにいるのよ~!”って聞くと、“今ダウンタウン!”という返事。私はこのアパートのスーパー(管理人)かい!!とぶつぶつ呟きながら1階に降りて来ると、笑顔を振りまいている見知らぬおじさんが寒空の下で震えて待っていました。私は何も文句が言えなくなり走り寄ってドアを開けてあげたのですが、こういうことはしょっちゅうです。

話がそれましたがクリスマスの飾り付けの翌朝、出がけに、どれどれ、どんな飾り付けをしたもんかな、と振り返って見てみると、“えっ、こんな貧弱なのあり?!” と思うくらいあまりパッとしないものでした。

しかしその夜帰宅してみると、その貧弱なたった1本のイルミネーションがエントランスのガラス戸に美しく反射しながらキラキラ輝いていて、ちょっと感動してしました。ゴージャスじゃないけれど、レンガ造りの古くて小さなアパートにちょうどいい美しさです。でもユリは、この華奢で小粋な美しさを計算していたわけではないと思いますが・・・

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下の写真は、学校の行き帰りに出会った、ちょっと印象に残ったクリスマス・デコレーションの数々です。

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2006年12月 5日 (火)

街中クリスマス色です!

12月1日、

サンクスギビングが終わったとたん、マンハッタンはどこもかしこもクリスマス色に輝いています。

みなさんお馴染みロックフェラーセンターのツリーも点灯されました。

何色もの豆電球が何百も飾られ、すごいインパクトです。 



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何色もの豆電球で輝くロックフェラーセンターのクリスマスツリー

それより意外に感動したのが、5番街を挟んだ向かいのデパート“サックス・フィフス・アベニュー”のビル一面に映し出されたいくつもの雪の結晶。

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5番街を挟んで向こうに見えるデパートに映し出された雪の結晶



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デパート“サックス・フィフス・アベニュー”に映し出された雪の結晶

このマークを見るとどうしても雪印乳業を思い出します。子供のころ、ここのヨーグルトが大好きでした・・・なんて思い出していたら突然音楽が鳴り響き、雪印たちはその音楽に合わせてあちこちバラバラに点滅し始めました。

すごく可愛くって、すごく綺麗でした。

ところで中学生のとき、国語の先生に“すごく”という言葉は“すごく汚い”とか“すごく痛い”などネガティブな表現だけに使うもの、と教えられましたが、どうなんでしょう・・・。

夜9時半、5番街はツーリストでごった返していました。

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2006年11月29日 (水)

5ドルのパッチワーク・クロシェット

11月29日

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黒、ベージュ、茶をベースに編み込まれた3枚のパッチワーク・クロシェット。
元々は布で作ったパッチワーク・キルトと同じように、余った毛糸を四角く編んでつなげていき、
毛布やコート代わりにしたアメリカならではの手芸品です。

自宅からイースト・ハーレムの116ストリートとファーストアベニューの角にあるシティバンクに行く途中、古着や雑貨を売っているお店があります。

かなり年期の入った服やおもちゃ、そして家具が店先に並べられているのですが、どれもレアものでもなければアンティークでもありません。

誰がこんなもの買うのかしら、なんて思いながらいつも通りすぎていたのですが、ある夏の日、その店先に、定番柄ではありますが、難色もの毛糸で編まれたパッチワーク・クロシェットが大きなダンボール箱の中に投げ込まれていました。5枚ぐちゃぐちゃに折り重なって。

わぁー可愛い!と思わず近寄って、ダンボールの中から引き出して見ていると、店の奥でシスターが優しい微笑を私に投げかけているのに気付きました。

なるほど、このお店はチャリティで集められたものを安く売って、教会の運営に役立てているわけで、だから営利目的で開いている古着屋さんとは違う、埃くさいままの服や雑貨が無造作に置いてあるのね、と私はシスターを見てはじめて納得。

5枚のキルトのうち2枚はどう見ても廃棄処分寸前といった味を出していましたが、後の3枚はもちろん薄汚れてはいたものの、まだ毛玉もできていないし、その鮮やかで可愛い色の編み込みがなんとも魅力的でした。

シスターに“1枚いくらですか?”って聞くと “5ドルよ” という返事。5ドルはちょっと高いんじゃないの~、どう見ても3ドルってとこよね~、ウール100%じゃないし(たぶんポリエステル混合)、かなり使い込んでいるみたいだし・・・と心の奥でつぶやきながら、再度品物チェックしていて気が付いたんです・・・

そうだこれは教会のドネーションになるんだ。神様にディスカウントを要求するなんて罰当たりなことはできない、と思い素直に3枚15ドルで購入。夏のたまらなく暑い日差しの中を、ボランティアのヒスパニックのおばちゃんが3枚一緒に入れてくれた今にも切れそうな大きくて薄いビニール袋を担いで帰ってきました。

その日ランドリーで洗濯し、アイロンを掛けてクローゼットにしまっておいた3枚のキルトをやっと使える季節になりました。

先週のサンクスギビングディにはじめてクローゼットから出し、そのうちの1枚をソファに掛けたり、膝に掛けたりしていたらやけにそこで本が読みたくなってしまい、それも日本語の本が。それで今日からサンクスギビング・ホリデーだし、外も雨だから日本語本を読んでもOK・・・ってなんだかわけのわからない理由で自分を納得させ、結局4日間あった連休のほとんどをソファにねっころがり、キルトに包まって一年ぶりに日本語の本を読んでいました。ということは英語の自習をまったくしなかったわけです。

お陰で月曜日のランゲージスクールでは結構辛いものがありました。

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2006年10月15日 (日)

ローリング・ストーンズを知らない世代

9月中旬から、夏休み前に通っていた大学の中にあるESLから単なるランゲージスクールに転校しました。毎日2人の先生が教える英語文法とスピーキングを、またもや20代前半の8割がた韓国人と日本人の若いクラスメイトと受けています。

ニューヨークでの学生生活も大分慣れましたが、この30歳以上も年下のクラスメイトと机を並べるって結構ストレスになるんですよ、ほんとにDown_2

今は2人の先生のゼネレーションが私に近いので、時々先生が“これ知っているだろ”って言いながら口ずさむOnpu_3 世界的に知られた懐かしい歌や俳優そして映画のタイトルに、唯一頷いてあげられる良き生徒となっています。

特に40代半ば(たぶん)のスピーキングの先生“アダム”は5年間日本に住んだことがあり、しかも奥様は日本人。とても話上手で広範囲な知識を持ち、生徒に質問された新しいフレーズやワードを説明する時、誰もが理解するだろう人名や出来事を取り入れてはオモシロ可笑しく話してくれますNikoniko_5 。かなり独断と偏見が強いですが。

アダム曰く “このクラスは質問が多いのでラクだ” そうです。生徒の質問に答えているうちに授業が終わってしまうからです。でもその質問に泣かされた日もありました。

時代遅れの人や事を“dinosaurs 恐竜というのですが、これを説明する例文として 

The Rolling Stones are dinosaurs right now.” とアダムが言ったら、22歳の韓国人の女生徒が真顔で ”What’s the Rolling Stones ?”って聞いたのです! かなり変わった生徒も教えてきている彼ですがこれにはまいったようで, 私の席の前まで来て “ミツエー!ウウウゥ・・・”って泣いていましたArya 。私もこの質問には目点になっちまいました。

それでもっとびっくりしたのが、アダムが“エ、エ、エー!今の20代ってローリング・ストーンズ知らないのー?”って言うと、日本人の男子生徒が“僕見たことあるよ、彼らの顔と名前をTシャツで ・・・だって。因みにこの男の子、ミュージシャンになりたくてニューヨークに来ています。

これって単にゼネレーション・ギャップといって片付けてよいものなのでしょうか?

そういえば文法の先生“ケビン(50代だと思う)”はビートルズの名前を例に出した時、“ほら、あのジョン・レノンやポール・マッカートニィのいたグループだよ!”って説明していたのを思い出しました。でも昨日の授業でだ~れもバーバラ・ストライザントのことを知らなかったのにはショックを受けていたみたいですね。私はこの時、ビートルズは皆知らなくて、バーバラのことは知っていて当然と思っている同世代のケビンにびっくりでした。

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2006年10月 1日 (日)

この夏を振り返って・・・

10月1日

この夏を振り返って・・・

8月1日から1カ月間のブログお休み宣言から2カ月が経ってしまいました。
英語でものを考え、話す、日本語禁止期間でしたが、いくらニューヨークにいても長年体に染み付いた母国語の“日本語で考え、話す”を“英語で考え、話す”に切り替えるのは至難の業と自覚しました。何でも新しいことをするのは若いうちですね・・・。

あ、なんだかネガティブな話になってしまったので、ここでニューヨークならではの情報をお届けします。 といっても新しいことではないのですが、この夏日本からやってきた家族やこちらで知り合った友人と行って、初めて出合った印象深い美術館や作品、そしてジョン・レノンのメモリアルです。

チェルシーにある、美術館のように大きなギャラリーで初めて“リチャード・セラ”の生の作品に出会い、久々にアートから受ける感動を覚えました。どうしてももっと彼の作品が観たくて、彼のよく知られた巨大な作品が展示されている美術館「Dia:Beacon http://www.diacenter.org/bindex.html 」に友人に連れて行ってもらいました。グランドセントラル駅から出ているメトロ・ノース電車で北に1時間半くらい行ったところにあるのですが、昔工場だった建物を美術館に改装したそうで、かなり広く、だから他の美術館では見ることのできない大規模な作品に出会えてこれまた感動ものでした。他に展示されている作家はアース・ワークのロバート・スミッソン、アークヒルズにある巨大な蜘蛛の作家ルイーズ・ブルジョア、よく知られたところではアンディ・ウォフォール、そして日本人のオン・カワラなど。この近くの大学を出たアメリカンの友人曰く、秋はメイプルの葉っぱが紅葉して、それは美しいそうです。10月、11月にニューヨークにいらっしゃる方、必見ですよー!Wakuwaku_5

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マンハッタンから電車で1時間半のところにある美術館“Dia”のリチャード・セラの作品

ニューヨークといったらメトロポリタン美術館。こちらの人がMet(メト)といっているこの美術館はいまさらご紹介する必要もないくらい有名ですが、久々にセントラル・パークが一望できるルーフ・ガーデン・カフェに出てみたらワニが天に向かってアングリ口を開けている彫刻に遭遇。背中にはフォークやナイフがたくさん刺さっていてとても滑稽な作品でした。晴れている日はここでビールやワインが飲めるので、広すぎるメトの鑑賞に歩き疲れたら、ここへ上がってワイン片手にボーっとワニ眺めるのもいいかも。

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メトロポリタン美術館のルーフ・ガーデン・カフェで怒っていたワニ

セントラル・パークを東側から西側に散歩しながら横切ってアメリカ自然史博物館に行こうということになりました。西側の出口正面には、あのジョン・レノンが住んでいてそして殺されたダコダ・ハウスがあるのですが、通りに出る前の小道にジョン・レノンの円形メモリアルが埋め込まれてありました。誰がしているのかバラの生花Rose_3 が彼のメモリアルに散りばめられていたのが印象的でした。中央には“IMAGINE”と書かれていて、彼の肖像が彫られているあたりに木漏れ日が落ち、とてもきれいでした。 

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ジョン・レノンのメモリアル

私が最も愛するアメリカ自然史博物館。30歳の時に初めて訪れてから何度も来ているので初めての出会いはなかったのですが、相変わらず釘付けになった“イルカ”とそれに“梟がいる森”のジオラマが美しかったのでまた撮影してきてしまいました。色がもっと美しいのですが何せ7年前に購入した素人向けデジカメ Camera_3 なのでフラッシュをたかないのでかなり赤が被っちゃっています。

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アメリカ自然史博物館のジオラマ

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大海原を群をなして泳ぐイルカと梟のいる森の景色

アース・ワークで有名なロバート・スミッソンは子供のころから自然や芸術に興味を持ち、この博物館に頻繁に訪れたとのことです。だからコンテンポラリーなアートが好きな方もここに一度いらっしゃるのをお勧めします。また世界各国の原始時代からの人間の生活様式も紹介されていて、ファッションに興味がある方にも面白いのでは。私は初めてここに来たのはファッション誌の編集をしていたころで、ファッションの原点を見た気がしました。

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2006年7月20日 (木)

テレビドラマ・ロケ

7月20日

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なんだか表の通りが騒がしいな、と思ったらテレビドラマのロケ隊が来てました。器材を積んだ何台ものトラックやロケバス Bus が私の住むアパートの前の117ストリートをレキシントンアベニューからサードアベニューのワンブロックに渡って停めていて、どの車もエンジンかけっぱなしで待機したり電気送ったりしているから、うるさいのなんのって。

ニューヨークはどんなに混んでいる時間帯や通りでもテレビや映画の撮影  Kamera_1 に協力的です。これはアメリカ全体でいえることかもしれません。だからマンハッタンを歩いていてよく映画の撮影現場にぶつかります。一度ミッドタウンで信号を渡ってそのまま歩いていたら、向かいのビルからジョディ・フォスターらしき女性がクリーニングされてビニールの掛かったジャケットをハンガーで吊るしたまま持って、シリアスな顔で向こうからやってくるところに遭遇。目の前を過ぎていった時、けっこう小ジワが目立って、“あれ?彼女に似てるけど、彼女だったらもっときれいなはずよね・・・?”なんて考えながら立ち止まって彼女の後姿を見ていたら、脇から“ダメダメ立ち止まっちゃ!見るなら脇にそれて!通るなら普通に通り過ぎて!”って、怒られつつ演技指導されたことがありました。Hand

半年前は私の住むアパートの1階の部屋が「Law and Order」というこちらでは毎日放送している検事ものテレビドラマのワンシーンに使われたことがありました。そのときは大家が自分が出演するかのように喜んじゃって、わざわざ私のところに伝えにきたので分かったのですが、そういえばその1,2週間前くらいからカメラマンがロケハンしているのを見かけていました。この撮影は午後一くらいからのスタートだったようですが、前の晩からアパートの前の道はふさがれ、朝学校へ出かける9時ころは1台も車の停まっていない117ストリートを初めてみました。

今日は何時から始めているのか分かりませんでしたが、私が気がついたのは明るい夕方5時ころ。9時ころに夕飯でも作ろうかなってキッチンに出てきたついでに表を覗いたらいよいよ撮影開始という雰囲気。それでカメラを持って降りていったら、これといった有名人の姿はありませんでしたね。ただアパートの裏のシーンを照らすために、隣の空き地にセットされた照明がやけにきれいでした。夕飯を作って食べ終わった11時ころ、静かになったなと表を覗いたら、もうだーれもいませんでした。テレビドラマだから案外簡単なロケだったんですね。

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夕方、私のアパートの窓から撮ったロケ風景。

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2006年7月18日 (火)

セントラルパークのフリー・コンサート

7月18日

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行ってまいりましたニューヨークの夏を代表するイベント“セントラルパークのフリー・コンサート”。

その日の昼間は華氏95度(摂氏34.5度くらいかな)を超えるしかもかなり蒸す日だったので、一緒に行った友人とあんまり暑かったら途中で引き上げましょうということで意見が一致。がしかし、まだ日差しの明るい7時前にセントラルパークに入ると、森林浴のせいか急に涼しくなり、Great LawnMid-Parkというそれは広い芝生のグランド会場に着くともう人がいっぱい。みんな一畳くらいのビニールや布を広げて用意してきたパンやビール、ワインを広げてピクニック状態。でもどこのグループも騒いでいる人はいなくて、前方を向いて静かに食べたり飲んだりしながら8時から始まる演奏を待っていました。通常ニューヨーク市の公園はどこもアルコール禁止なのですが、このコンサートの日は解禁だそうです。

私達は二人だけなので遅く行った割には比較的前の方のスペースが手に入り、そこにシーツを敷き、演奏が始まるまでとりあえずお腹をいっぱいにしましょ、と彼女が仕事の合間に買ってきてくれたワインで乾杯してから私の作ったサンドイッチを頬張っていると、だんだん日が沈み、そしてコンサートOnpu_2 は開始しました。

今年はニューヨークフィルハーモニー交響楽団のクラシックコンサートで指揮者は女性のMarin Alsop。3曲目に女性バイオリニストのLeila Josefowiczが加わり、4曲目はベートーベンの「運命」で会場はおお盛り上がり。

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私達の後ろにもこんなにいっぱいいました。
そういえば目の前を蛍が飛んでいましたっけ。


芝生の上に裸足で寝転がり、仰向けになって空を見ながらライブを聴く。緑の香りをさせながら顔を撫でる風は心地よく、頭の下の大地から響いて聴こえるオーケストラはどんな素晴らしいコンサート会場でも聞くことのできない迫力と美しさがありました。こんな贅沢、ほかにあるでしょうかWakuwaku_4 ! ありますね、きっと。でも私はこれでかなり癒され、この日一緒に来てくれた友人にほんとうに感謝しました。

5曲目が終わるとみんな立ち上がりミッドタウンの方を向くので、“えっ!えっ!何、何?”って聞いたら“最後はいつも花火 Bakuhatsu_3  が上がるの”ということでした。こっちは何かっていうと花火がよく上がります。セントラルパーク内の南の方で上げられた花火は、アメリカ独立記念日の花火よりもちろん規模が小さかったけれど、59丁目に立つ高層ホテルの上で開いては散っていく風情がなかなかお洒落でしたよ。

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コンサートの締めくくりはセントラルパークの南端で打ち上げられた花火でした。

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2006年7月14日 (金)

シソが育っています。だから毎晩冷奴です。

7月14日

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実家の庭に生えていたシソの苗木がこんなに育ちました

ニューヨークもほんとの夏がやってきました。こうなったらやっぱり夕食は炊き立てのご飯に豚の生姜焼き、そして冷奴ですね。味噌汁は体が熱くなるので代わりにコロナのビール。Beer_7

先月、姉がこちらに遊びに来るとき、“庭に生えているシソを根元ごと持って来て!”って言ってお願いしたシソが、とりあえずのつもりで植えたバラの鉢でバラ Rose_2  と一緒にすくすく育っています。

だから毎晩、2,3枚摘んでは冷奴でいただいています。

まったく東京にいた夏の晩の献立と同じです。違うのはビールがキリンじゃないことくらいかな。

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2006年6月 1日 (木)

アパート事情、ニューヨーク

6月1日

イーストハーレムのこのアパートに来た人は皆聞きます“あなたはリッチなの?”って。Bikkuri_1

なぜならまったく働かない学生生活の身分なのに、イーストハーレムといえどもマンハッタンに2ベッドルームのかなり広いアパートを借りているからです。マンハッタンのアパートはどんなにアメリカの経済が低迷しても日毎値上がりしています。昔倉庫だったソーホーなどは6畳にキッチンが付いているような小さなアパートでも眼が飛び出るような高いレントで貸しています。

特にここイーストハーレムは何年か前から再開発が始まり、アフリカ系アメリカ人やヒスパニック人などの低所得者は住めなくなってマンハッタンの外へと追い出されています。 Ashiato

早い話、市が運営する低所得者用のアパートをミスターT.などの金持ちが買い占め、高級アパートに建て替える計画だそうです。ひどい話です!Acha_1

だから東京は物価が世界一高いと言われますが、こと部屋代に関してはニューヨークのほうが高いと私は思います。またわざと2つもしくは3つベッドルームのあるアパートを借りてルームシェアする人もいます。
こちらはルームメイトを探してシェアして住むのが当たり前で、私も今そうしています。このルームシェアをするということ、日本にいた時には考えられませんでしたが、よっぽどだらしない人と住まない限り、最初のうちは情報交換したり、ましてや相手の英会話力が自分より増していた場合などはかなり日常の生活のうえで助かります。
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2006年5月21日 (日)

Mr. Ernesto Brawly

5月21日(日) 

長い、いや長く感じたスプリング・セメスターも先週で終了!Beer_1

だって最終日の最後のクラスが文法の期末テストだったのですから。

明日22日から3カ月間の夏休みに突入です。Nikoniko_2

そんなわけでリーディングとライディングの先生、アネスト(Ernesto Brawly)の最後のクラスは、ドアマン付き高級アパートが立ち並ぶアッパー・イーストにありながら6.50ドルのトンカツ定食(味噌汁にアボガド入りの巻き寿司、オレンジまで付いていて、まるで日本の大手百貨店の中にある大レストランのランチ弁当のようでした)があるチャイニーズ系レストランでフェアウエル・ランチ Kifefork_2   となりました。

アネストはカルフォルニア育ちで、大学を終了と同時に世界中を旅した経験のある人物。

特に日本では日本女性との大恋愛 Wakuwaku_2 もあったようで日本好き(?)、たぶん。

今も日本人のガールフレンドと生活しているようです。

でも若い頃に結婚した相手はウエスタン(出身国は忘れました)で、その女性との間に生まれた女の子は今や美しい女優となり、近々TVドラマデビューを果たすそうです。

そんな彼のライディングの授業は、必ずと言っていいくらい彼の若き頃のラブストリーを例に出します、具体的な書き方を教えるために。

この話がかなり面白いので、また始まったなと思いつつも大笑いしながら聞き入ってしまうのです。彼の口癖は“Perfect California English !”。誰かがきれいな発音をすると大きな声で “Very, Very, Very, Very Good! Your English is 100% perfect California English!”Uzumaki_1  と言って褒め称えます。

どちらかというと褒めてやる気にさせるタイプの先生ですね。そんな彼に、“彼は私のIdeal husband.....”と言って恋焦がれているクラスメイトもいたので、結構な歳ですが(人のことはいえませんが)、男としても魅力的なのでしょう、きっと。

私は授業に付いていくのに必死で、そういう目で彼を見る余裕はありませんでした。しかし日本を発つ前に描いていたアメリカの大学の先生は、映画「ペリカン文書」に見るサム・シェパードでしたが、これは映画の中だけのことだと悟りました。当たり前ですが。もし彼のような先生がいたら、生徒役だったジュリア・ロバーツのような恋人がいますね、きっと。

(写真をクリックしていただければ拡大写真が表示されます。)

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フェアウエル・ランチに出席したクラスメイト。殆どが韓国人です。
皆いいヤツばかりです。ほんとに皆さんにはお世話になりました。

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アネストは毎回自分の受け持った生徒に自分達の作文集の表紙をクリエイトさせています。
タイトルは“Perfect California English”。
全員の名前が入った目次のタイトルはなんと“Contemporary International LIARS”です。

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私が通うHunter College は68thストリートをまたいでいます。
ガラス張りの通路から見るアッパー・イーストはなかなかの眺めですよ。

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2006年5月12日 (金)

イーストハーレムの猫一家

子供の頃から猫 Neko が好きです。大好きです Wakuwaku

だからといって部屋中猫グッズで飾るタイプではありませんが。

イーストハーレムのこのアパートを決めた時、窓から見える向かいのパブリックスペースに猫が6~7匹、うろうろしているのを発見!
思わずワーイNikoniko_1 って叫んじゃいました。

彼らは一家族だそうです。彼らの住み家になっているそのパブリックスペースは近所に住むヒスパニック人のおじさんやおばさんの社交場なので、いつも遠巻きに彼らを見ていたのですが、今日学校から戻り夕飯の買い物のために外に出たら、隣の空き地に彼らビッグファミリーが固まっているではありませんか。

思わず部屋に駆け戻りデジカメ Camera を掴んでまた猫のところに一目散Dash 。 

カメラを彼らに向けてシャッターチャンスを狙っていたら、何かもらえるものと思ったのか、私の足元に寄って来る、寄って来る。私もコンクリートの道路に寝っころがって彼らとじゃれながら撮っていたら、通りすがりの高校生らしき二人ずれの黒人青年とヒスパニック人のおじさんたちがあきれた顔をしながら何か声をかけていきました。でもどちらが言っていたことも私にはわかりませんでした。前者は早すぎて、後者はヒスパニック訛りがきつくて。ただあきれていたことだけは確かです。

半年前、まだ子供だった一匹が私のアパートのエントランス脇にあるゴミ箱で寝ていたのを学校の出掛けに見つけたことがありました。撫でてやったら、駅の近くの信号まで鳴きながら着いて来てしまい、後ろ髪を引かれる思いで走り去ったのを憶えています。そんな可愛かったヤツが今日間近で見たらすっかり大人になっていて、フンって感じの結構冷たい態度をとられてちょっとショックな私でした。ところで半年前にお腹の大きかった猫がいたのだけれど、お腹の子はどこにいったのかしら?彼らみたいに幸せに暮らしているといいのだけれど。

(写真をクリックしていただければ拡大写真が表示されます。)

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エメラルドグリーンの目を持つ私に最も擦り寄ってくる可愛いヤツ

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黒と白のバランスがきれいな、でもちょっとひょうきんなヤツ

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カメラを向けるとしばし目線ををくれたいいヤツ

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典型的な三毛猫(?)。毛が他の猫より若干長いです

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パブリックスペースに住む三毛猫.

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私のアパートの向かいにあるパブリック・スペース。
ここに猫一家は住んでいます

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2006年5月 6日 (土)

カキ氷

夏になってしまいました Ase

今日のマンハッタンは華氏76度です。日本の摂氏25度くらいでしょうか。だからまだクーラーを入れるほどではないのですが、私が住むイーストハーレムは完璧に夏です。町の色と気分が真夏です。そこら中に停まっている車からラテン系のかなり陽気な音楽 が流れ、アパートの中に居ても聞こえます。はっきり言ってうるさい

服装はというと、つい半月前くらいまで夜はスカーフやハーフコートが離せなかったのに、今月に入って急に暑くなったかと思ったら、男性は皆半袖Tシャツ、黒人のグラマーなおねえさんは胸の谷間丸見えのタンクトップ Tanktop で闊歩しています。いやこの迫力はすごいです。

イーストハーレムはヒスパニック系移民が殆どを占める町です。 今日は土曜日とあってヒスパニック人のおばさんやおじさんがシャーベットやかき氷をリヤカーにセットし大通りのあちこちで売っています。親子連れやカップルはみ~んなこれを買って食べながら歩いています。一つ1ドルです。ところで私は去年の5月1日からここに住んでいるのに、去年はこういった光景は目に入ってきませんでした。ニューヨークでの新しい生活を始めることで精一杯だったのだと、いま懐かしく思います。一年たってちょっと気持ちに余裕が出てきたかなって思う今日この頃です。

(下の写真をクリックしていただければ拡大写真が表示されます。)

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こちらは欠き氷屋さん。

大きな氷を金具で削り取って三角カップに山盛り入れたらお好みのシロップをシャッシャッとかけて、はい1ドル!

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シャーベット売りのおじさん。
なかなか味のあるキャラクターなんですが、カメラを Kamera 向けたらちょっと緊張しちゃいました。

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2006年5月 5日 (金)

クラスメイト

5月5日(金)

今週は宿題に追われる毎日でした。Acha

特にここ2週間はMOMAやMetoのレクチャーを聴講したり(未だ30%くらいしか理解できませんが)、友人にディナーに誘われたら必ず出かけたりしていたのでそのツケが回ってきたというか。私がいま勉強しているニューヨークの市立大学にある、大学進学のための語学学校は宣伝するわけではありませんが、しっかりしたカリキュラムと優秀な教授人が揃っていること、そしてなんといっても宿題が多いことで有名です。もちろんこちらの大学生のそれとは比較になりませんが。

特に毎日読む込むリーディングのページ数と、毎週1~2本出されるライティングの宿題はHomework 、提出日に締め切りがない(今期の先生は)だけに、1週間ほっておくと次の週は4~5本溜まってしまいます。

ここで、宿題で書いた作文の一つで先生が“信じられないほどひどい話を大変滑稽に書いている”と言ってクラスで読みあげ、皆に大うけだった、ニューヨークに着いたばかりの私に実際あった出来事を掲載しました。 これからニューヨークでアパートを探そうと計画なさっていらっしゃるかた必読です。因みにこの英作文、ネイティブ・イングリッシュ・スピーカーの校正が入っています。

そういえば先週は文法とリーディングの中間テストがありました。しかし前セメスターで一緒に勉強した韓国人のクラスメイトが帰国するのでフェアウェルパーティをしようということになり、翌日テストだというのにMoon 夜中 Star まで遊びほうけて(でも未成年がいたので食事の後はスタバ  Coffee_1 です)、お陰さまで散々な結果でした、一応パスはしたものの。私の場合、頭が化石化し始めているので、彼らのように一度覚えれば忘れない、というわけにいかないのです。悲しいことに、何度も同じところを繰り返し復習しないと一週間後まったく忘れています。その記憶が消えていく速度の早いこと。

ところで私にとって彼らクラスメイトはとても重要な存在です。彼らの明るさ  Kira_1 にはとても助けられています。歳若ボーイフレンドと別れた直後も何かにつけ声をかけてくれて、塞ぎがちな私を笑わせてくれたりして。いや~、56歳の失恋を19歳~23歳のクラスメイトが労わってくれるなんて思ってもみなかったわけです。それにしてもこちらに留学している韓国人や日本人の学生は皆殆ど20歳前後といったところですがしっかりしていています本当に。私のその歳頃は子供でした、とても。

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いつも隣同士に座って授業を受けている台湾人のメロディ。先生に"Hi Sixteen !"と呼ばれていますが実は21歳です。

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前セメスターで一緒だった韓国人クラスメイトのお別れ会。彼らが私のクラスメイトです。可愛いでしょう!でも真はしっかりしています。

The worst experience in my life.

If you are looking to share or sublet a room in New York, don’t rent it on the Internet without seeing it first. On March 7th of last year (2005), I came to New York City to study English and enjoy the lifestyle here. Before I came here, I looked for a room to sublet on the Internet. I checked out a website where Japanese living in New York City can exchange information on living in the city. This would include such issues like how to get a Visa renewal, recommendations on hospitals with Japanese doctors, and how to find a roommate or to sublet an apartment. I found a few rooms for sublet on the website and I decided to rent one of them without seeing it. The person who was offering it was studying art management in graduate school at New York University, and he said how wonderful his room was. “It’s on the 14th floor; you can see the Empire State Building from the window and there are significant security measures that keep the building safe both inside and out.”

I believed his description because in my opinion people who love art are generally deceptive. Therefore, I thought he was trustworthy and I paid a sublet fee of $1,125 for one and half a months by credit card, as he requested. After that, he sent me an email saying that I needed to drop into a shop where his roommates worked to pick up the key on my way to the apartment because he would be in Japan at that time. This was a bit unsettling and not quite clear to me, but it was too late to cancel since I had already paid.

I arrived at JFK airport with three large suitcases and took a taxi to Manhattan. As soon as I got in the taxi, I asked the driver to stop by the shop before getting to my destination. He accepted my request cheerfully, but he explained to make sure that I understood I would have to pay more than the usual $49. After I picked up the key, I got to the apartment on the lower east side. There were many big apartment buildings and many security guards standing on each corner. I wondered why there were so many security guards. Anyway, I carried my three cases and went up to the 14th floor, after I had paid $75 to the driver. I turned the key and opened the door. As soon as I went into the room, I smelled gas! I cautiously walked into the kitchen and found the gas stove was turned off, but something very small and black was moving all over the place in the kitchen and bathroom. I put on my glasses and looked carefully. They were cockroaches beyond number! “Oh my god!” I said.  While I was recovering from my shock, I entered the bedroom. There was a window, but I couldn’t see the Empire State Building from it. If I wanted to see it, I had to stick my head out the window and turn my neck to the right. I was really disappointed and depressed. Anyway I went to bed exhausted that night. As I lay in the bed, I also noticed the pillows and sheets had not been changed. Oh no!

Enduring the gas smell and numerous cockroaches, I tried to stay there while looking for another apartment. I met many real estate agents, and one of them told me about the apartment where I was staying. That place was public housing for low-income New York City residents. That’s why there were many security guards, I found out, albeit a little late. It meant I was living there illegally. Two weeks later, while I was taking a shower, I heard an explosion above. I got out of the bathroom and put on my clothes quickly I was thinking, “What happened?” Then while I was looking outside my window, someone knocked on my door a violently, and my roommate shouted at me, “Mitsue-san, Fire! Fire! The floor above ours! Get out! Get out!” I grabbed my bag which had my passport, I-20 and wallet and ran like crazy downstairs from the 14th floor to the front entrance. We had to wait outside for about three hours on a very cold evening, hair was still wet. While waiting there, I decided to leave the apartment even though I had already paid more than one month’s rent.

As a result, I spent much more money than my budget allowed, and I had a lot of troubles the apartment. I really regret choosing this room on the Internet without ever seeing it. If I experience the same situation in the future, I will stay in a hotel, even though it will be more expensive. I also learned that there are sometimes sneaky people in the art world. This experience was the worst in my life.

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2006年4月22日 (土)

ニューヨークのドライバー

朝から雨 Kasa です。

昨夜はルームメイトの元彼スティーブの誕生パーティ に出かけてきました。

パーティはダウンタウンのウォール街近くにある彼が所有するそれはモダンで洗練されたアパートで開かれ、いい男が来ているかしらん・・・と少し期待しながら24本のバラの花束 を抱え、気合を入れて目一杯若作りして行ったのですが、特に興味深い男性は残念ながらいませんでした、はい。

それより自分の英会話力の未熟さをまたもや痛感させられてしまったしだいです。ああ、もうニューヨークに来て一年たつのに・・・ Down

帰宅は深夜2時前後だったのでスティーブやルームメイト(ルームメイトは元彼のために後片付けを手伝うので一緒に帰宅できなかったのです。こちらは別れても友人になるケースが多いようです)がタクシーで帰りなさい!とすすめるのを、“いや地下鉄で一本なので地下鉄で帰りまぁ~す!”と言ってバッテリーパークにある最寄りの駅まで行ったら工事中で閉鎖。仕方なくタクシー を拾って乗ると、メーターがバンバン上がるではありませんか。何しろマンハッタンの最南端にあるバッテリーパーク(自由の女神像が立っている島へ行く観光フェリーが出ている公園)から殆ど最北端のイーストハーレムまでなので、こうなることは分かっていたことではあるのですが。実はこの日キャッシュをあまり持っていなかったのです。

メーターが15ドルくらいのところに来た時、”私20ドルしか持っていないの、だから20ドルのところに来たら下ろしてね!“って言ったら、ドライバーが微笑みながら低い小さな声で”No~!“と言い、やがてメーターが19.50ドルになったところでメーターを下ろして走り続けてくれたのです。こんな時間に放り出せないと思ったのでしょう。私は少し酔っ払ったロレツのよく回らない口調で”Thank you!! You are really nice guy!!!と調子いいことを言ったように記憶しています。結局アパートの前に着いた時、本当は33ドルあったお財布の中から25ドルを差し出すと、ドライバーは“Is it OK ?”と心配そうに私の顔を見ながら受け取って去っていきました。ニューヨークのドライバーはニューヨーカーじゃないから優しいんだなって勝手な解釈をしています。

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ルームメイトの元彼、スティーブの誕生パーティ。
アジアン女性に囲まれた幸せそうな彼の顔が素敵でしょ! 

(写真をクリックしていただければ拡大写真が表示されます。)

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2006年4月16日 (日)

56回目の誕生日

昨日15日は私の56回目の誕生日でした。2週間前に約半年間付き合った21歳年下のアメリカ人ボーイフレンドと別れ 、“また今年の誕生日も一人かぁ~”とかなり落ち込んでいたら、イギリス人のご主人の仕事の関係でニューヨークに住んでいる元同僚のA子さんご夫妻がご自宅での和食ディナーに招いてくださり、温かくリラックスした思い出に残る誕生日の夜が過ごせました。この歳になると誕生日という日にそれほど思いいれもなくなります。

日本にいた時など身内も自分もこの日を忘れるくらいですから。はっきり言ってもう誕生日は来ないで欲しい!しかしこちらは自分で自分の誕生パーティを計画し、何十人もの友人を招待するくらい、結構気合を入れるイベントの一つなのです。

だから恋人のいる人は一ヵ月前からどんな誕生日をプレゼントしてあげるかの構想を始めます。そんなこんなを耳にしていただけに、彼と分かれたばかりの私にとって、ニューヨークに居ながらにして一人で誕生日を迎えることの辛さは結構ハードであったわけです。

誕生日を祝ってくださった彼女は英語が堪能で、私がニューヨークに着いたばかりのちょうど1年前、アパートを決める時やその他こちらで生活を始めるにあたりいろいろ助けてくれた一人です。英語が十分に話せない私が一人不安を抱えている頃を見計らったように、“どうしていますか?何かお手伝いできることがあったらご連絡くださいね!”という優しいEメールを送ってくれたのです。因みに彼女は私より10歳若いのですが姉のようです。本当に彼女には感謝しています。
しかし私の誕生日の晩、彼女から、ご主人の仕事が7月からシンガポールに転勤になることを伝えられ、“ああ、これでまたニューヨークで頼れる人は一人減る。しっかりしろ、三枝!”と自分に言い聞かせたしだいです。これからは人を頼らずに(英語に関して)まずは自分でトライする!これ56歳を迎えたのを期に今年のAccomplishment goal(達成目標)にしました。夜中12時頃、ウエスト・ミッドタウンにある彼女のアパートからイーストハーレムのアパートに帰宅すると姪や友人から誕生祝いのEメールが入っていて、嬉しくなって読んでいるうちに、日本に住む友人からおめでとうコール Phone がありました。ひとしきり彼女と話してから、ルームメイトが“誕生日の日に開けてくださいね!”って言ってくださったプレゼントを開けてみると、きれいな透かし柄のスカーフが!!ああ、なんて私は幸せ者なんだろうOnpu って、なんだか日本にいる時より友人や家族が傍にいるように思えた56歳の誕生日でした。

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学校の前の花屋さんに並んでいたアザリアの鉢が
とっても美しかったので自分の56歳の誕生日に買ってしまいました。

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