2007年6月12日 (火)

なんと!37年ぶりのドローイング

アーチストになる気はまったくないし、なれる才能ももちろんありません。

でも美術館に行く度に、なんだか自分も何か描きたくなって、アパートから徒歩6分のところにあるThe Art Students League of New Yorkのドローイング・クラスに通い始めました、週2回の夜間ですが。


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国吉康雄が学び教えたファインアートの学校。

フィアデルフィア美術館でご紹介した私の好きなサイ・トゥンブリも22歳の時ここで勉強しています。

歳が分かってしまいますが、ドローイングは10代の後半から20歳くらいにかけて描いたのが最後で、なんと37年ぶり。

6月第一週の水曜日、チャイナタウンの学割の効く安い画材店で買ったスケッチブックと日本から持ってきた黒のダーマートにブラウンの色鉛筆を持って一路アートスクールに。

6:15PM、アシスタントと思われるちょっとモジリアーニ似の男性が “最初は4分50秒から” と言うと、モデルがポーズをとり、そのモデルを囲む20人ほどの生徒たちがいっせいに描き始めました。

“う、う、ぅ・・・まずい~、描、描けな~い。えぇ~、どうしよう” Acha_6 なんてうろたえている間に4分50秒が経ち “はい、次のポーズ” とまたアシスタントの声。

でも、3ポーズ、4ポーズと描いていくうちに、37年前に学んだことのいくつかが甦ってくるんですねぇ。体で覚えているっていうか、脳みそから右手の指先にその記憶が送られてくるっていうか・・・。10代に覚えたことは忘れないっていいますが、ほんとうですね。


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少しずつ思い出してきたドローイングのタッチ

ちょっと慣れてきた4ポーズ目の頃、先生が入ってきました。たぶん70代と思われる男性ですが、彼の教え方、私初めてです。トレーシングペーパーのような透けた紙のスケッチブックを持って来ていて、生徒のドローイングの上にそのペーパーを置いて、なにやら説明をしながらどんどん直していくのです。

線描きの人には線で、シャドーで表現している人にはシャドーで。決して生徒の作品に直に描き込みません。

生徒には、この人現役アーチストかしらと思わせるような人から、まったく今日が始めてという人までいろいろ。先生はどの人にも丁寧に真剣に、何か質問されれば時間を惜しまず指導していました。だからアシスタントの脇の隅っこで描いていた私の番まで回ってきませんでした。ちょっとがっかり。だって先生は2日に一度しか来ませんから。でも原因は私にあるのかも。実は時間ぎりぎりに行って、席はそこしか空いていなかったのです。

最初ビビった3時間15分はあっというまに終了しました。

ところで、何の拘束もないアートスクールなのですが、宿題が出されていました。椅子を描いてくる宿題が。前からこの先生のクラスを受けているとても感じの良い日本人の生徒が教えてくれたんです “今日の宿題は椅子ですって。いっぱい描いてくればいっぱい教えてくれるわよ!”って。 “えっ、宿題?!”

そういえば先生が一生懸命椅子を触りながら話していたけど、あれは宿題の説明だったんだ~。ああ、私の英語力は相変わらず伸びていない!10代の頃に英語も勉強しておくんだったとマジ反省。ま、しょうがないですね、高校生のとき一番嫌いな科目でしたから。

それにしても6月の夜、レストランやバーが賑わうミッドタウン・ウエストの大通りを、スケッチブック片手にアートスクールに向かうと、なぜかとても開放的で満ち足りた気分になります。

通りに面したお洒落なレストランからは、ドレスアップして食事する男女の幸せそうな光景が目に入ります。が、しかし、最近の私はこういった光景を目にしてもまったく羨ましいと思わなくなってしまいました。これってどうなんでしょう・・・

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2日目の休憩時間に学校内の画材売り場で2B,4B,6Bの
ドローイング用鉛筆とブラウンのパステルを購入。
やっぱり線が柔らかく描けます。気分いいです。

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2007年6月 6日 (水)

バーベキュー

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この歳になると“生まれて初めての経験”ということに遭遇する機会が少なくなります。

つい最近ありました、生まれて初めての経験。自宅の庭でバーベキュー。これ、私の今までの人生にありそうでなかったのです。

自宅といってももちろん私の家ではありません。ニュージャージーに住む友人、ボブの家です。

バーベキューは肉のタレ作りから野菜を櫛に刺したり、とうもろこしを銀紙で包んだり、もちろん焼くのもぜ~んぶ男の仕事だそうです。

よく考えたらスキヤキみたいですね。今はスキヤキといったら当然のように市販のインスタント割りしたでいただきますが、私が子供の頃は酒、醤油、砂糖で味見しながら、父親が作ったものです。そうスキヤキは男の仕事だったのです。

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写真左手が私のために焼いてくれたお肉。“こんなに食べられないよ~!”って言ったら、“あまったら持って返りなさい”って彼。とってもおいしかったけれど四分の一でギブアップ。 残りはしっかりいただいてきました。

いただいてきたこのお肉、翌日はローストビーフとして、またその翌々日はラーメンにチャーシューとして、はたまたサンドイッチにと3日続けていただきました。 こんなデカイの一回で食べているからアメリカ人は太るんですよね~。

ところでひとつ不思議だったのは、バーベキューの最中も、食事をしている間も、ハエはもちろんのこと蚊やその他虫の類が一切寄ってこなかったことです。まだ明るい6時半頃から暗くなりかけた8時半頃までの間ですが。

でも庭は草ぼうぼうだし、木もうっそうと生えているし。日本だったらものの10分もしないうちに寄ってくるのに。なぜ、なぜなの?日本より空気が乾燥しているのかしら。どなたかご存知だったら教えてください。

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2007年6月 2日 (土)

フィアデルフィア美術館

行ってまいりました念願のフィアデルフィア美術館。

車でフィアデルフィアの市内に向かっていくと、とても今的な高層ビル群が見えてきます。ヒストリカルな街だと聞いていたのでちょっと意外でした。

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15分ほど市内を走ると遠くに美術館らしき建物が見えてきたので “あっ、あれ!あの建物!” って運転している友人、ボブ(前回ご紹介したハーレーダビッドソンの持ち主)に指差し確認。

そしてその建物にだんだん近づいて行くと “Oh, my Go!” なんと美術館の正面が工事中で幕に覆われているではありませんか。

たいしたことではないのですが、この美術館の正面の階段は、映画「ロッキー」でロッキーが駆け登って万歳をしたところ。私も美術館をバックに万歳ショットを撮ってもらおうかと思っていただけに、ちょっと残念でした。

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館内を回っている時、ふと見えた外の景色

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工事中のエントランスから入ると大理石の階段がどーんとあります

この美術館の展示作品で最も有名なのは、ニューヨーク・ダダの先駆者の一人マルセル・デュシャンの作品“大ガラス”です。実はこれが見たくて行ったのです。

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マルセル・デュシャンの「大ガラス」

運送中にガラスにひびが入ってしまったそうですが、その偶然できたひびを彼は気に入り作品として受け入れたそうです。それでどんなんかな~と、とても興味がありました。へぇ~、これが偶然入ったひび、と思わせるだけのことはありました。計算されたようにとてもきれいでした。逆に計算したら、こうはならなかったかも・・・。

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外から光が作品に差し込むように、後ろの壁にガラスがはめ込められていました。

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ダダイズムの代表的な彼の作品

ひとしきりデュシャンの作品に囲まれていい気分になったあとは特別展へと向かいました。

私は大きな美術館に行く時は見たいものを決めて、まずはそこに直行します。そして十分鑑賞したあと余力があったら適当に他の展示品も観て回ります。

特別展は 1700年代の日本人水墨画家「IKE TAIGA」と「TOKUYAMA GYOKURAN http://www.philamuseum.org/exhibitions/108.html の水墨画と書道展。日本でもお目にかかれないのではないかというほど量的にも、質的にも充実していました。残念ながら特別展はどこも写真撮影禁止なので興味のある方はウエッブを覗いて見てください。

彼らの作品を見ていて改めて認識したのは“素晴らしい作品は何百年も前に描かれたものだけど今も新しい”ということです。彼らの書や画はとてもパワフルでいてソフィスティケイトされていました。彼らみたいのが天才っていうんだよね~なんて、バカな独り言をいっていたとても凡人な私でした。

しかしいいタイミングでCalligraphy Art が観られました。というのも、先月、日本語教師養成講座で通ったジャパンソサエティで, 7月下旬から始まる「Shodo: Japanese Calligraphy summer Class」 を受けることにほぼ決めていたからです。

まあどんなことになるか分かりませんが、また書道教室に通いだしたらこちらでお知らせしますね。ニューヨークの書道教室に集まってくるアメリカ人生徒ってどんな人たちなのか・・・

最後に余力があったので私の好きな作家の一人、トゥンブリ・サイTwombly Cyの展示室に寄ってみました。この時ボブは “なにがいいのかさっぱり分からない。僕の4歳の孫のがうまいぞ” と言って出て行ってしまいました。彼は正直です。

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トゥンブリ・サイの展示室と作品。

彼が最も影響を受けたのがクレーだそうです

ランチはフィラデルフィア名物の「チーズステーキ」をこれまた一番有名なお店「PAT’S KING OF STEAKS」で食べました。はっきりいって、なんでこれが人気なのか分かりません。そんなに安くないし。ボブに “どう、おいしい?” って聞かれたので、私は “たぶん二度と食べないと思う” と返事したら、彼も頷いていました。

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味は写真で見たとおり。黄色のマスタードのようなのがチーズで、

すき焼き用に使うような炒めたビーフの上にただかけてあるだけ。

ケチャップやマスタードはお好みで自分でかけます。

2本で18ドルくらい払っていたような気がするので、

1本1,000円といったところかしら。安くないでしょ!

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2007年5月19日 (土)

日本語教師養成講座 in New York

去年の暮れ、ランゲージスクールのクラスメートから40代のネイティブイングリッシュの女性を紹介されました、日本語と英語のエクスチェンジのために。

どういうことかというと、彼女のアパートに一週間に1回か2回お邪魔して、こんにちは~!と言って入ってから最初の1時間は日本語で、1時間経つと英語会話に切り替えるということです。彼女が用意してくれたクッキーや私が持って行ったおせんべいをかじりながら・・・Coffee_2

彼女の日本語は2級の検定試験を受けるくらいなので、けっこうレベル高いです。その彼女にある日聞かれました “ねぇ、この日本語、英語に訳して・・・”って2級試験用の応用ドリルを開きながら。どんな日本語かっていうと「私はできる限りの手を尽くしたが、何も手 Hand_1 に入れられなかった」という文章です。

で適当に英文を作って説明したら、“この「手」は何?この「手」は・・・”と聞かれ、あ、そうねぇ~この手は腕の先に付いている手じゃないものね~、と改めて日本語がややこしいのを認識させられました。

余談ですが、私が出版社に入りたての頃、漢字の書けない(ついでに英語の話せない)編集者として同僚によくからからかわれまし。因みにあの頃の出版社には、書いている記事はつまらなくても、漢字をいっぱい知っている編集者はたくさんいました。

私が会社を辞めるちょっと前には帰国子女という子がた~くさん入ってきました。その中には英語はペラペラだが作家から送られてきた日本語が分からない、要は日本語のニュアンスが分からないってヤツがいました。これには仰天  (゜o゜) Bikkuri_2 させられましたよほんとに。入社試験で何をチェックしているのかと。今はわかりません、どんな編集者がいるのか。

本題に戻りますが、そんなわけで、ここはイッチョ日本語を外国人に教えられるように勉強してみるか!Denki_1 と奮起したわけです。

マンハッタンにジャパンソサエティという日本の文化をアメリカに伝えるための組織があります。ここでプログラムされている「日本語教師養成講座」に通うことを決意し、4月後半から通っています。この講座、ただ座って現役日本語教師の教えを聞いていればいいのだろうと安易に申し込んだのですが、どっこい、そういう授業は最初の3回だけで、その後は交代で1回20分のデモンストレーションをしなくてはならないことが分かりました、しかも自分で独自に考え作った教材で。これけっこうハードUzumaki_2 です。

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すでに生徒役の13人のクラスメートの前で2回、初級者用のデモをしました。まだ来週最終日の10分間デモが残っています。はっきりいって私は教師に向いていません。そう1回目で自覚しました。だから途中からは、教師になるために通うのではなくて、楽しくOnpu_5 参加することに切り替えました。

ただやはり、“あれ、これ、それ”と “あの、この、その”  の違い、というか使い分けをどうやって生徒に教えるかなどのテクニックは、ふ~んなるほどねぇ~と関心させられています。こういったことはやはり学費を払っているだけのことはあります。

それとここに集まってきた“日本語教師になりたい日本人”の何人かが変でおもしろいです。生徒26人中3人が男性。女性の殆どは30代後半から40代の主婦。ダンナの海外転勤のために妻ビザで来ている人が殆どです。

昨日の授業で私の前に座ったきれいでおっとりした女性のダンナは日系の商社マンだそうです。そして私の隣に座っていた女性とは、帰宅後出かけたセントラルパークの前でばったり遭遇。この近所にお住まいですか?と聞くと、スッゴイ高そうな高層アパートを指差して“あそこに住んでるの~”だって。そっくりな顔をした7歳くらいの娘さんを連れていました。

中には日本人小学校で先生をしている女性もいて、この人、使っている教科書とそれにのっとって教えている先生のある言い回しを指摘して“その言い方はおかしい。日本語では絶対ありえない言い方です!”なんて、断定的な説明を延々としちゃう。

客観的に聞いているとそこには先生が説明したある部分を彼女が聞き逃しているがゆえに起きている大きな誤解があると分かるのですが・・・。それが彼女に分かるまでの押し問答の最中、私はトイレに行かせていただきました。

何しろこちらに長く住んでいる、そして特に働いている人はアメリカ人化してしまって、主張が強い(あ、誤解のないように。アメリカ人でも相手の話をちゃんと聞く人もたくさんいます)。しかしアメリカ人にはなりきっていらず、しかし日本人でもなくなっちゃっている。私はこちらに来てから、こういう日本人の女性何人かに出くわしました。疲れます、こういう人。

60代らしき女性も3、4人いて、このうちの1人Fさんがすごい!Okoru_2 在米40年というこの女性、授業開始待ちに隣りに座った人に学校の文句をこれでもかっていうほど途切れもなく話しかける。じゃあ来なきゃいいじゃない・・・って皆思いながら我慢してきいている・・・

でも授業や連絡事項は殆んど理解していないみたいで、解散時に“え、どうするの!?宿題ってなに?!”なんて周りの人に聞きまくっている。最初のうちは皆丁寧に教えていたけど、今は誰も取り合わず、“先生に聞いたほうがいいですよ”なんて言ってさっさと帰ってしまう。それで、この人のデモンストレーションがすごかった。

デモは何しろまったく日本語の分からない初級の外国人生徒に教えることが前提ですから、話すことはその日までに勉強したことと、その日教えること、そして片言の英語だけ。

F さんの担当する講義内容は日付と時刻で、特に「何時ですか」と「○時から○時まで」というフレーズ。しかしデモが始まったとたん、彼女はとうとうと「時間」ということの概念について語りだしてしまったのです。

“時間は人間にとって切り離せないもの。そう、いつもこうやって背中に背負っている、それが時間ですね” ってな感じで・・・

この概念も何の根拠もないものだし、日本人にも分からないような抽象的な言いまわして語り続けている20分間、みんな最初は何がなんだか分からないでいたのですが、途中から教室内は笑いの渦になり、先生もあきれ返って何の評価もしませんでした。評価のしようがないというのが正直なところでしょう。

結局彼女はこの日、自分のデモはウケタ!と思って帰ったと思います。

2回目デモは違う生徒と違う先生(デモのときはクラスが2つに分かれます。あちらの先生のが優秀)の前ですることになっているので、残念ながら彼女の2回目デモを見る事ができなかったのですが、翌日から彼女、おとなしくなっていました。

あと極めつけ“ヤナ女”Down_3 の話させてください。30代後半の小太りな女性。

初日、私の隣に座ったその女性は、先生がプログラム説明をしている時、たぶんメモ用紙の代わりだと思いますが、ノートパソコンを持って来てすべて英語で書き込んでいました、これ見よがしに。

まぁ英語のできない私のひがみかも知れませんが、何も日本語講座について日本語で説明しているのだから、英語で書き込むこたぁないだろうに・・・と思いながらも無視していたのですが、けっこうこの行為、隣でやられると気になるんですよ。ほらPC打ち込むときのパチパチって音とか。

しかしこれだけなら別に我慢の範囲なのですが、彼女しょっちゅう質問するんです、先生いじめArya_1 とも取れるような質問を。もう大分前のことなので殆んど忘れてしまいましたが、ひとつだけよ~く憶えています。

この日2冊の教材が配られました。一冊は初級生徒用のテキスト。もう一冊が教師用指導書。この2冊目にはこの教材独自の文法説明用語が書いてあります。

これを先生が説明している時、 “先生、この待遇表現、後置性、それと位相は英語でなんというのですか?” と彼女。

クラスにはデモの時間以外は常に先生は2人いて、その2人が顔を見合わせて (@_@)  “あ、分かりません。すみませんが、次回の授業までに調べますので、私たちの宿題ということにしてください”と言うと、してやったりといった感じの笑みを浮かべて頷いていました。

対偶表現だの、後置性だの、私たちがこの言葉を英語で知る必要はまったくなく、この質問には皆唖然となりました。そして次の授業日開始早々、この日本語の意味を英語で説明したプリントが先生から配られました。

しかし彼女はその日欠席。そして未だに姿を現しません。

ほかにもまだ笑っちゃうような変な人がいるのですが、長くなったのでこの辺にしておきます。

来週の木曜(5月24日)でジャパンソサエティ通いも終わります。そしたら再来週1週間、私だけのヴァケーションがやってきます。わ~い! この間に友人の車でフィアデルフィア美術館に行く予定です!どんな美術館だったか、またこちらでお知らせしますねー

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暑くもなく寒くもなく、散歩に最高の5月のセントラルパーク  

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2007年4月15日 (日)

花見、満喫してきました!

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さいたま市・氷川神社の奥にある大宮公園の満開の桜。4月1日2007年

ちょっとわけあって3月末から2週間ほど帰国してきました。

この間、桜が満開になり、実家近くの桜で有名な大宮公園に姉夫婦や姪と2度も出かけてしまいました。

こちらに来る前は仕事が忙しかったせいもありますが、特に花見のためにどこかに出かけるなんて事はしなかったように記憶します。

その私が、やはり日本から離れて暮らしているとこういった日本的な事がやけに恋しくなるんですね~。帰国前から友人に “会うときは花見しようね!”“花見しながら食事がいいな!” などとうるさくメールしていましたから。

いや~、それにしても3年ぶりにナマで観る満開の桜は綺麗でしたよ~!

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大宮公園から、子供の頃ザリガニを取って遊んだあたりに行ってみました。
昔は田んぼでしたが、今は四季折々の花が見られる公園になっています。
4月5日2007年

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2007年3月15日 (木)

ミッドウエストに引越しました

ニューヨーク生活3年目突入にあたり、3月1日にイースト・ハーレムからミッドタウン・ウエストに引越しました。

アパートの窓からの景色は高層ビル、一歩アパートを出るとすれ違う人の殆んどは白人。とても寒かった先週など毛皮のロングコートを着た、見るからにリッチなおばさまに何度もすれ違いました。お洒落なスーパーマーケットやカフェもあちこちにあり、でも中で働いているのは黒人やヒスパニック人。

アパートはとっても小さくなりましたが、徒歩10分以内にハドソンリバー、セントラルパーク、リンカーンセンターやジュリアード音楽学校があり、15分くらい歩けばMOMA美術館やタイムズスクエアーに着くこの環境に日々感動しています。イメージしていたのに近いニューヨーク・ライフに出会ったという感動です。

毎日用もないのにふらふら出歩いています。そういう気分にさせます、ここは。

で、やっぱりニューヨークはいいなって改めて実感しています。

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大通りに面したアパートの窓から見える向かいの高層ビル

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2007年1月 2日 (火)

2007年1月 明けましておめでとうございます。

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生まれてこの方、まったく1人で迎えた大晦日と元旦は、憶えている限り今回が初めてかもしれません。

大晦日の昼、メトロポリタン美術館に、クリスマス前に買ったバーゲン品のバッグを返品に行き (1週間使ったのですが、肩からベルトがしょっちゅう落ちてしまい返品を決めました。こちらは、8ミリビデオのテープをカセットテープレコーダーのテープと間違えて買い、パックを開けてしまったあとでも、領収書があれば全額返金してくれます。いやみひとつ言われません)、帰りに自宅近くの八百屋やマーケットに寄って買い物をすると、レジ係のだれもがレシートを渡しながら “Happy New Year !”って言ってくれました。メトロポリタンの返品レジの人でさえ。これって日本にない習慣で、ちょっと気分がよかったです。なんか“アメリカに住んでいる!”って感じた瞬間でした。

夜、9時くらいからテレビをつけると、新年のカウントダウンを待つ人たちでごった返しているタイムズスクエアがライブされていました、何局も。こういうところ日本と同じだな、とチャンネルをまわしていくと、大晦日らしい番組はこれだけで、ほかはいつもと変わらぬ番組ばかり。

11時45分ころ実家に電話をしながらテレビでタイムズスクエアのカウントダウンを見て、やれやれこれで2006年は終わり、無事2007年を迎えたからもう寝よう・・・って思っていたら、アパートの外がやけに騒がしいのに気がついたんです。

なに、この騒ぎは!と外を見ると、遠くでは花火がガンガン上がり、隣のアパートの窓からは外に向かってラッパを吹く男性の姿。道路では近所の人たちがなにやらわいわい賑やかに騒いでいました。これってイーストハーレムだけの新年の迎え方なのかもしれませんが、ちょっとホームシックになりかかっていた私はこれで一気に気分が上昇! “ここに住んでよかった!”って再認識。

そういえばクリスマスに大家のユリと彼の彼女のアイリーンが持って来てくれたチョコレートがあったっけ・・・と思いだし、元朝参りの代わりにチョコレートをぱくつきながらワインで“Happy New Year !”とあいなりました。

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ウクライナから来て20数年の大家“ユリ”と彼の彼女、同じくウクライナ人の“アイリーン”。
クリスマスイブの日、チョコレートを持って来てくれたところをパチリ。

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2006年12月12日 (火)

街中クリスマス色です!その2

12月12日

学校から帰宅すると、ユリ(大家)が近くの若い衆2人とアパートの外に設置されている消防用の階段を上ったり下りたりしてなんだか騒がしくやっているので ”何やってるの~?“って聞くと、“クリスマスの飾り付けだよ、ほらミツエも早く手伝って!”って言うので “いやだよ~ン!”って言ってそそくさと中に駆け込みました。何しろこういうとき、ボーっと眺めていると、本当に手伝わされるのですから。

この間の夜も地下のボイラーを点検に来たユリの知り合いが鍵がないというので、ユリから “ミツエ、エントランスのドアを10分後に開けに降りてきて!”という電話が入り、“あなたはどこにいるのよ~!”って聞くと、“今ダウンタウン!”という返事。私はこのアパートのスーパー(管理人)かい!!とぶつぶつ呟きながら1階に降りて来ると、笑顔を振りまいている見知らぬおじさんが寒空の下で震えて待っていました。私は何も文句が言えなくなり走り寄ってドアを開けてあげたのですが、こういうことはしょっちゅうです。

話がそれましたがクリスマスの飾り付けの翌朝、出がけに、どれどれ、どんな飾り付けをしたもんかな、と振り返って見てみると、“えっ、こんな貧弱なのあり?!” と思うくらいあまりパッとしないものでした。

しかしその夜帰宅してみると、その貧弱なたった1本のイルミネーションがエントランスのガラス戸に美しく反射しながらキラキラ輝いていて、ちょっと感動してしました。ゴージャスじゃないけれど、レンガ造りの古くて小さなアパートにちょうどいい美しさです。でもユリは、この華奢で小粋な美しさを計算していたわけではないと思いますが・・・

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下の写真は、学校の行き帰りに出会った、ちょっと印象に残ったクリスマス・デコレーションの数々です。

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2006年12月 5日 (火)

街中クリスマス色です!

12月1日、

サンクスギビングが終わったとたん、マンハッタンはどこもかしこもクリスマス色に輝いています。

みなさんお馴染みロックフェラーセンターのツリーも点灯されました。

何色もの豆電球が何百も飾られ、すごいインパクトです。 



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何色もの豆電球で輝くロックフェラーセンターのクリスマスツリー

それより意外に感動したのが、5番街を挟んだ向かいのデパート“サックス・フィフス・アベニュー”のビル一面に映し出されたいくつもの雪の結晶。

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5番街を挟んで向こうに見えるデパートに映し出された雪の結晶



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デパート“サックス・フィフス・アベニュー”に映し出された雪の結晶

このマークを見るとどうしても雪印乳業を思い出します。子供のころ、ここのヨーグルトが大好きでした・・・なんて思い出していたら突然音楽が鳴り響き、雪印たちはその音楽に合わせてあちこちバラバラに点滅し始めました。

すごく可愛くって、すごく綺麗でした。

ところで中学生のとき、国語の先生に“すごく”という言葉は“すごく汚い”とか“すごく痛い”などネガティブな表現だけに使うもの、と教えられましたが、どうなんでしょう・・・。

夜9時半、5番街はツーリストでごった返していました。

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2006年11月29日 (水)

5ドルのパッチワーク・クロシェット

11月29日

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黒、ベージュ、茶をベースに編み込まれた3枚のパッチワーク・クロシェット。
元々は布で作ったパッチワーク・キルトと同じように、余った毛糸を四角く編んでつなげていき、
毛布やコート代わりにしたアメリカならではの手芸品です。

自宅からイースト・ハーレムの116ストリートとファーストアベニューの角にあるシティバンクに行く途中、古着や雑貨を売っているお店があります。

かなり年期の入った服やおもちゃ、そして家具が店先に並べられているのですが、どれもレアものでもなければアンティークでもありません。

誰がこんなもの買うのかしら、なんて思いながらいつも通りすぎていたのですが、ある夏の日、その店先に、定番柄ではありますが、難色もの毛糸で編まれたパッチワーク・クロシェットが大きなダンボール箱の中に投げ込まれていました。5枚ぐちゃぐちゃに折り重なって。

わぁー可愛い!と思わず近寄って、ダンボールの中から引き出して見ていると、店の奥でシスターが優しい微笑を私に投げかけているのに気付きました。

なるほど、このお店はチャリティで集められたものを安く売って、教会の運営に役立てているわけで、だから営利目的で開いている古着屋さんとは違う、埃くさいままの服や雑貨が無造作に置いてあるのね、と私はシスターを見てはじめて納得。

5枚のキルトのうち2枚はどう見ても廃棄処分寸前といった味を出していましたが、後の3枚はもちろん薄汚れてはいたものの、まだ毛玉もできていないし、その鮮やかで可愛い色の編み込みがなんとも魅力的でした。

シスターに“1枚いくらですか?”って聞くと “5ドルよ” という返事。5ドルはちょっと高いんじゃないの~、どう見ても3ドルってとこよね~、ウール100%じゃないし(たぶんポリエステル混合)、かなり使い込んでいるみたいだし・・・と心の奥でつぶやきながら、再度品物チェックしていて気が付いたんです・・・

そうだこれは教会のドネーションになるんだ。神様にディスカウントを要求するなんて罰当たりなことはできない、と思い素直に3枚15ドルで購入。夏のたまらなく暑い日差しの中を、ボランティアのヒスパニックのおばちゃんが3枚一緒に入れてくれた今にも切れそうな大きくて薄いビニール袋を担いで帰ってきました。

その日ランドリーで洗濯し、アイロンを掛けてクローゼットにしまっておいた3枚のキルトをやっと使える季節になりました。

先週のサンクスギビングディにはじめてクローゼットから出し、そのうちの1枚をソファに掛けたり、膝に掛けたりしていたらやけにそこで本が読みたくなってしまい、それも日本語の本が。それで今日からサンクスギビング・ホリデーだし、外も雨だから日本語本を読んでもOK・・・ってなんだかわけのわからない理由で自分を納得させ、結局4日間あった連休のほとんどをソファにねっころがり、キルトに包まって一年ぶりに日本語の本を読んでいました。ということは英語の自習をまったくしなかったわけです。

お陰で月曜日のランゲージスクールでは結構辛いものがありました。

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